昭和50年12月16日第76国会文教委員会第4号議事録抜粋              (卒業して15年後には下記の出来事があったようです。これも稲築高校歴史の1ページでしょう。県立高校移管当時の先生方のご苦労が泡となったと感じるのは私だけでしょうか?敢えて掲載しますが削除するべきと思う方はメールしてください。削除します。Matsuguma1551@yahoo.co.jp

稲築高校というのが嘉穂郡にありまして、そこの卒業生の答辞なんです。「校庭の白梅もひとしお高く香ってくるこのよき日に、県の係官はじめ来賓多数のご臨席のもと、このように盛大な卒業の式典をあげていただき、また、ただいま校長先生の温情あふれるご訓示をはじめ数々のご丁重なお言葉をたまわりまして、卒業生一同身にあまる光栄と存じ、深く感銘いたしております。 しかし、私はこの場を借りて、在校生ならびに、ご父兄の皆様に訴えたいことがあります。それは私たち生徒にとって非常に関係の深い先生方についてです。 進学や就職を目前にひかえた私たちの人生にとって、最も大切な時期に一週間近くも学校を休み、教科書は半分ぐらいしか進んでいない教科があります。こんなことって、あるのでしょうか。そのころ、ちょうど日教組の全国大会が開催されていました。大塚先生。先生方のストの日に、ストに参加していない先生の授業などは受ける必要はないなどと言われましたね。私たちはこの事実をどのように受け止めればよいのでしょうか。 また授業中、中華人民共和国や毛語録のプリントを配ったり、天皇は悪い奴だ、日の丸はきらいだと言っておられた香月先生。授業内容にしても、資本主義については一時間しか授業をせず、社会・共産主義については四時間も念入りに授業されました。 それから津野先生。授業中に「先生という職業は、聖職ではないんだ。自分たちは労働者である。」と言われましたが、それならば、なぜ生徒をなぐろうとなさるのですか。その時の先生は、単なる教える側と教えられる側、生産者と造られる製品という、そんなお気持だったのです。 労働者が、ただ働けばいいのなら、生徒をなぐるというようなことはなさらないでしょう。そこには生産者と製品以上の何かがあるのではないでしょうか。それは聖職意識というものではないでしょうか。 松山先生。あなたはストの前日の国語の授業の時、国語とはまったく関係のないストに対する自己弁護をなさいましたね。それで、そのことを生徒が指摘すると、クラス担任に、あいつは態度の悪い奴だと言われたと聞いております。先生が、そんな視野の狭いことでよいのでしょうか。 岸田先生、あなたも同じです。 文化祭の前日に、物理部員がステレオコンサートの実験のために間違って君が代を流した時に、血相を変え、息づかいも荒く、部屋にこられ、何のためにこんな曲を流すのかと言われました。 君が代や日の丸がなぜいけないのですか。私たちは、ただそれらを国旗や国家として見ているだけなのです。なぜそれがいけないのですか。それは先生方の偏見ではないのでしょうか。 A先生、B先生。先生方の授業のあり方を考えてみると、どうしても私たちの目には無気力な教師としか見えません。 いいえ、これらの先生方だけでなく稲築高校には、本当に教育というものを考えていらっしゃる先生方が何人いるのでしょうか。 生徒の受ける大学選択にしても筑波大学などを受けるのなら内申書を書いてやらないとか、防衛大学はどうのこうのと、これが先生の生徒に対する助言なのでしょうか。 先生がどんな思想を持とうと、どんなことをおっしゃろうと、それは自由だとは思います。でも自分の思想を生徒に押しつけるように、さも自分の主義が正しいかのように、お話になるのはどうかと思います。 私たちは真の教育を望んでいます。みにくい利害関係を除いて、教育ということについて、お考えを新たにしていただけないでしょうか。そして、もっと生徒との対話を深めていただきたいのです。 これが稲築高校を卒業して行く私たちの願いなのです。 在校生の皆さん。父兄の皆様、現在の稲築高校の教育のあり方をもっと見つめてほしいと思います。私にとっては、いまの稲築高校の教育方針は間違いとしか思えません。稲築高校の発展と向上のためにも、これから先の先生方の教育方針をじっくり見守っていただきたいと思います。これをもって答辞といたします。」

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